はじめての薩長同盟
シナリオ解説
第一幕
「日本のために頑張るぞ!」
第二幕
「大阪薩摩屋敷」
第三幕
「亀山社中」
第四幕
「薩長同盟・ドタキャン編」
第五幕
「薩長同盟・挽回編」
第六幕
「薩長同盟・成立編」
思想解説
幕末思想解説
幕末思想年表
参考資料
幕末志士生没年表
当サイトは、薩長同盟に至ったプロセスを比較的簡単な内容の会話形式で紹介する「シナリオ解説」、及び、少し踏み込みペリー来航から薩長同盟締結に至るまでの心のうちを探る「思想解説」の二段構えで、幕末の歴史を一気に加速させることとなった「薩長同盟」を解説していきます。
登場人物
幕府・勝海舟
土佐・中岡慎太郎
土佐・坂本龍馬 薩摩・西郷隆盛 長州・桂小五郎
幕末思想年表

西暦 月日 主な出来事
1853 6月3日 浦賀にペリー率いる米国艦隊(黒船)が来航。
(この後十二代将軍徳川家慶はショック死する)

これ以前の日本は・・・
もともと攘夷の心は持っていたが、
長期に渡る鎖国政策により、忘れかけていた。

1854 3月3日 幕府は朝廷に開国のお伺いを立てるも勅許(天皇の許可)は出ず、黒船の大砲に怯えるまま日米和親条約に調印。
1858 6月19日 幕府、勅許なしに日米修好通商条約に調印。

この頃の日本は・・・
幕府・・・開国策
外国の驚異を知った幕府はやむを得ず開国策へ。一応、尊王思想もあったが、天皇にお伺いを立てる程度までとし、開国を優先。
VS
尊王攘夷派反幕府
外国の驚異を知らない(幕府も権威を保つため驚異に屈し開国したなどとは知らせなかった)者たちは、 幕府の弱腰政策に対して不満爆発。まだ倒幕という意識は薄い。

9月7日 安政の大獄始まる。
1860 3月3日 大老・井伊直弼が暗殺される(桜田門外の変)。
11月1日 皇妹・和宮、将軍家茂への降嫁を発表(公武合体論)。幕府は交換条件として攘夷決行を約束。

この頃の日本は・・・
幕府・・・公武合体策
攘夷実行を交換条件とし天皇を味方につける。ただし現実的に攘夷実行はできないので、表向きには攘夷策、裏では開国策とした。
VS
尊王攘夷派倒幕派
安政の大獄、公武合体から「こんな幕府に日本をまかせておけない」、桜田門外の変の失態から「倒せるかもしてない」という思想が重なり、一気に倒幕思想にかたむく。

1862   吹き荒れる天誅の嵐。
1月15日 老中・安藤信正、浪士に襲われる(坂下門外の変)。
1863 5月10日 長州藩が攘夷を決行し、下関で外国船を砲撃。
7月2日 薩英戦争。
8月18日 公武合体派が宮中クーデターを決行し、尊皇急進派七卿と長州勢力が御所から締め出される。
1864 6月5日 新撰組が池田屋で密会している尊攘派浪士を捜しあて、斬り込む(池田屋事件)
7月19日 長州藩と幕府側が京都御所の蛤御門で戦闘(禁門の変)。
8月2日 幕府、第一次征長の役の名を下す。
8月5日 英・米・仏・蘭4国連合艦隊、下関海峡で長州藩と交戦(馬関戦争)。

この頃の日本は・・・
幕府・・・公武合体策
幕府は、薩摩藩、会津藩、新撰組など活躍により旧来の力を盛り返したように見えた。しかし、これまで佐幕派として最も貢献してきた薩摩藩に対し、幕府を乗っ取るつもりではないかという謀反の疑いをかけてしまう。そのような気などないのに疑いをかけられた薩摩藩は幕府に見切りをつけ、倒幕へと移行していく。
VS
尊王開国倒幕派
外国との戦いに敗れた薩摩藩や長州藩は「現在の武力で外国を打ち払うことは不可能」と痛感し開国策へ転換。彼らにとっての開国策とは、外国人暗殺などの小さな攘夷運動を捨て、外国から諸技術を学び、幕府ではない天皇を中心とした強固な日本国家を形成した上で、決定的な攘夷を行うことを最終目標とするための仮の手段のことをいいます。

1866 1月22日 薩長同盟が成立する。
1867 11月15日 坂本龍馬・中岡慎太郎が近江屋の二階で、幕府見廻組に襲撃され、のちに死亡。
12月9日 王政復古の大号令により将軍職が廃止になる。
1868 1月3日 上鳥羽の小枝橋で薩摩兵が発砲、鳥羽伏見の戦いが起こる(戊辰戦争)。

これ以降の日本は・・・

旧幕府軍
(無抵抗を主張するグループ)
徳川慶喜、勝海舟

戦線離脱し新政府軍に恭順する

旧幕府軍
(断固戦うべしと主張するグループ)
榎本武揚、大鳥圭介、新撰組、彰義隊、白虎隊
VS
新政府軍(官軍)
近代兵器を手に入れた新政府軍は圧倒的な武力の差を見せつけ、抵抗する旧幕府軍を破っていく。

1869 5月18日 榎本武揚ら降伏。戊辰戦争終わる。