【NHK大河ドラマ新選組対応表】
〜放送内容と新撰組年表を見比べてみよう〜


西暦 年号 月日 主な出来事 放送内容
1834 天保5年 5月1日 近藤勇、武州多摩郡上石原村(調布市野水1-6-8)に生まれる。
1835 天保6年 5月5日 土方歳三、武州多摩郡石田村(日野市石田60)に生まれる。
1842 天保13年 沖田総司、江戸麻布の阿部藩下屋敷に生まれる。
1848 弘化5年
嘉永元年
11月11日 近藤勇、天然理心流近藤周助の門に入る。
1849 嘉永2年 10月19日 近藤勇、近藤周助の養子となる。 
1852 嘉永5年 沖田総司、天然理心流・試衛館に入門する。
1853 嘉永6年 6月3日 浦賀にペリー率いる米国艦隊(黒船)が来航。
(この後十二代将軍徳川家慶はショック死する)

これ以前の日本は・・・
EVERYBODY
鎖国・攘夷はあたりまえ

第1回「黒船が来た」
6月9日 ペリー久里浜に上陸、フィルモア大統領の親書を渡す。
ペリーは即座の返答は求めず「明春、また来る」といて去っていった。
7月1日 老中・阿部正弘、米国親書の返書に関して、大名、旗本らに意見を求める。
1854 嘉永7年
安政元年
1月16日 ペリーの率いる米艦隊七隻再来航。
3月3日 幕府は朝廷に開国のお伺いを立てるも勅許(天皇の許可)は出ず、黒船の大砲に怯えるまま日米和親条約に調印。
1855 安政2年 10月2日 安政の大地震。
10月9日 幕府、佐倉藩主・堀田正睦を老中首座に任命。
1856 安政3年 7月21日 米駐日領事ハリスが下田に来航。
1858 安政5年 2月9日 老中・堀田正睦、全権井上清直らが通商条約の勅許を得るため参内するが、勅許得られず。
4月23日 彦根藩主・井伊直弼、大老に就任。
6月19日 幕府、勅許なしに日米修好通商条約に調印。

この頃の日本は・・・
幕府・・・開国策
外国の驚異を知った幕府はやむを得ず開国策へ。一応、尊王思想もあったが、天皇にお伺いを立てる程度までとし、開国を優先。
VS
尊王攘夷派反幕府
外国の驚異を知らない(幕府も権威を保つため驚異に屈し開国したなどとは知らせなかった)者たちは、 幕府の弱腰政策に対して不満爆発。まだ倒幕という意識は薄い。

7月6日 十三代将軍・徳川家定没 三十五歳。
9月7日 安政の大獄始まる。
10月25日 徳川家茂十四代将軍となる。
1859 安政6年 3月9日 土方歳三、天然理心流・試衛館に入門する。 第3回「母は家出する」
8月27日 幕府、徳川斉昭に国許永蟄居、一橋慶喜らに隠居・謹慎を命ずる。
1860 安政7年
万延元年
1月13日 幕府の軍艦咸臨丸、米国に向かう。
3月3日 大老・井伊直弼が暗殺される(桜田門外の変)。 第4回「天地ひっくり返る」
9月30日 近藤周助・近藤勇、武蔵国府中六所宮へ天然理心流の大扁額を奉納。
11月1日 皇妹・和宮、将軍家茂への降嫁を発表(公武合体論)。幕府は交換条件として攘夷決行を約束。

この頃の日本は・・・
幕府・・・公武合体策
攘夷実行を交換条件とし天皇を味方につける。ただし現実的に攘夷実行はできないので、表向きには攘夷策、裏では開国策とした。
VS
尊王攘夷派倒幕派
安政の大獄、公武合体から「こんな幕府に日本をまかせておけない」、桜田門外の変の失態から「倒せるかもしてない」という思想が重なり、一気に倒幕思想にかたむく。

第19回「通夜の日に」

第21回「どっこい事件」
1861 万永2年
文久元年
8月27日 近藤勇、武蔵国府中六所宮で天然理心流四代目襲名披露の野試合を行う。 第7回「祝四代目襲名」
1862 文久2年   吹き荒れる天誅の嵐。
1月15日 老中・安藤信正、浪士に襲われる(坂下門外の変)。
4月23日 薩摩藩の尊王攘夷派と島津久光の命をうけた鎮撫隊が斬り合う(寺田屋事件)。
7月6日 一橋慶喜、将軍後見職になる。
7月27日 京都守護職を設置。
8月21日 島津久光の行列を乱した英国人を薩摩藩士が斬り捨てる(生麦事件) 第19回「通夜の日に」
閏8月1日 会津藩主・松平容保が京都守護職に任命される。
1863 文久3年 2月8日 清河八郎、芹沢鴨、近藤勇ら江戸で募集された浪士組一行が江戸を出発(壬生浪士組)。 第10回「いよいよ浪士組」
第11回「母上行ってきます」
第12回「西へ!」
2月22日 尊王攘夷派が足利氏三代の木像を京都三条河原に晒す。 第14回「京へ到着」
2月23日 浪士組一行、京都三条大橋に着き、壬生村に入る。 第14回「京へ到着」
2月24日 清河八郎、尊皇宣言文の建白書を御所学習院に提出。 第15回「行くか、残るか」
3月4日 将軍・徳川家茂が二条城に入る。 第16回「一筆啓上、つね様」
3月11日 孝明天皇、下鴨・上賀茂両社に行幸し攘夷祈願。家茂も加わる。
3月12日 芹沢鴨、近藤勇ら浪士残留組十七名は、会津藩松平肥後守御預りとなる(壬生浪士組)。 第16回「一筆啓上、つね様」
3月13日 幕府の命令で、清河八郎ら浪士組は江戸に帰る。
3月25日 壬生浪士組の殿内義雄が京都四条大橋で殺害される。
第17回「はじまりの死」
3月28日 東帰浪士組が江戸に到着。
4月13日 清河八郎が江戸で暗殺される。 第20回「鴨を酔わすな」
4月21日 初めての公務、将軍警護のためだんだら羽織を着て大坂へ出動。 第20回「鴨を酔わすな」
5月10日 長州藩が攘夷を決行し、下関で外国船を砲撃。 第21回「どっこい事件」
6月3日 壬生浪士、大坂力士と乱闘になる。 第21回「どっこい事件」
7月2日 薩英戦争。 第22回「屋根の上の鴨」
8月11日 佐伯又三郎、暗殺。 第22回「屋根の上の鴨」
8月13日 芹沢一派による大和屋焼き討ち事件。 第22回「屋根の上の鴨」
8月17日 中山忠光、吉村寅太郎ら天誅組が大和五条の代官所を襲う(天誅組の変)。
8月18日 公武合体派が宮中クーデターを決行し、尊皇急進派七卿と長州勢力が御所から締め出される。
壬生浪士組は出動して活躍し、新撰組の隊名を下される。
第23回「政変、八月十八日」
9月13日 新見錦切腹。 第24回「避けては通れぬ道」
9月18日 芹沢鴨・平山五郎、粛清の名のもとに斬殺される。平間重助は逃走。 第25回「新選組誕生」
9月26日 新撰組の隊名を下される。 第25回「新選組誕生」
9月26日 長州の間者、御倉伊勢武・荒木田左馬之助・楠小十郎が永倉新八らに殺害される。
12月28日 野口健司が切腹し、芹沢グループ一掃作戦完結。
1864 文久4年
元治元年
3月27日 武田耕雲斎ら挙兵する(天狗党の変)。
4月26日 京都見廻組が結成される。 第27回「直前、池田屋事件」
5月 近藤勇、谷周平を養子にする。 第27回「直前、池田屋事件」
6月5日 新撰組が池田屋で密会している尊攘派浪士を捜しあて、斬り込む(池田屋事件) 第28回「そして池田へ」
6月10日 新撰組隊士・武田観柳斎ら15名が東山の明保野亭に出動。
7月11日 佐久間象山が肥後藩士・河上彦斎らに暗殺される。 第29回「長州を討て」
7月19日 長州藩と幕府側が京都御所の蛤御門で戦闘(禁門の変)。新撰組も出動し、活躍。 第29回「長州を討て」
7月21日 新撰組は会津藩と天王山を攻め、真木和泉らが自刀する。 第29回「長州を討て」
8月2日 幕府、第一次征長の役の名を下す。
8月5日 英・米・仏・蘭4国連合艦隊、下関海峡で長州藩と交戦(馬関戦争)。

この頃の日本は・・・
幕府・・・公武合体策
幕府は、薩摩藩、会津藩、新撰組など活躍により旧来の力を盛り返したように見えた。しかし、これまで佐幕派として最も貢献してきた薩摩藩に対し、幕府を乗っ取るつもりではないかという謀反の疑いをかけてしまう。そのような気などないのに疑いをかけられた薩摩藩は幕府に見切りをつけ、倒幕へと移行していく。
VS
尊王開国倒幕派
外国との戦いに敗れた薩摩藩や長州藩は「現在の武力で外国を打ち払うことは不可能」と痛感し開国策へ転換。彼らにとっての開国策とは、外国人暗殺などの小さな攘夷運動を捨て、外国から諸技術を学び、幕府ではない天皇を中心とした強固な日本国家を形成した上で、決定的な攘夷を行うことを最終目標とするための仮の手段のことをいいます。

9月12日 佐久間象山の子・佐久間恪二郎が新選組に入隊する。
9月30日 近藤勇、隊士募集のために日野に帰郷。 第31回「江戸へ帰る」
10月15日 新撰組に新加入の伊東甲子太郎一派が江戸を出発。 第31回「江戸へ帰る」
12月17日 水戸天狗党、加賀藩に降伏する。
1865 元治2年
慶応元年
2月23日 山南敬助、新撰組を脱走するが捕らえられ切腹。介錯は沖田総司。 第32回「山南脱走」
第33回「友の死」
3月10日 新撰組は壬生の屯所が手狭にまり西本願寺に移る。 第35回「さらば壬生村」
11月4日 長州訊問使・永井尚志につき近藤勇ら広島に向かう。
1866 慶応2年 1月8日 近藤勇、再度広島へ向けて出立。 第38回「ある隊士の切腹」
1月22日 薩長同盟が成立する。 第37回「薩長同盟締結!」
2月12日 隊費を紛失した勘定方・河合耆三郎斬首(切腹とも) 第38回「ある隊士の切腹」
6月7日 第二次征長の役。 第39回「将軍、死す」
7月20日 将軍家茂、大坂城内で病死 二十一歳。 第39回「将軍、死す」
8月21日 第二次征長の役、中止の沙汰書が出る。
9月12日 新撰組が京都三条大橋の制札に危害を加える浪士を斬り伏せる。
12月5日 徳川慶喜十五代将軍となる。
12月25日 孝明天皇崩御 三十六歳。 第40回「平助の旅立ち」
1867 慶応3年 2月2日 伊東甲子太郎、太宰府で中岡慎太郎、水野渓雲斎、真木外記、土方久元らと会談。
3月20日 伊東甲子太郎、禁裏御陵衛士を拝命し、新撰組から離局する(高台寺党)。 第40回「平助の旅立ち」
5月24日 兵庫開港勅許。
6月8日 御陵衛士、高台寺の月真院に屯所を移す。
6月10日 新撰組、幕府の直参となる。 第41回「観柳斎、転落」
6月14日 新撰組の茨木司、佐野七五三之助ら四名は脱退するが、京都守護職屋敷にて自刀。 第41回「観柳斎、転落」
6月15日 新撰組は屯所を西本願寺から不動堂村へ移転する。 第42回「龍馬暗殺」
6月22日 武田観柳斎、竹田街道にて新撰組に斬殺される。 第41回「観柳斎、転落」
8月14日 徳川慶喜の臣、原市之進が暗殺される。
9月20日 近藤勇、土佐藩重役と会談する。
9月23日 明治天皇即位。
10月15日 徳川慶喜、大政奉還勅許の沙汰を受ける。 第42回「龍馬暗殺」
11月15日 坂本龍馬・中岡慎太郎が近江屋の二階で、幕府見廻組に襲撃され、のちに死亡。 第42回「龍馬暗殺」
11月18日 伊東甲子太郎が新撰組に暗殺され、遺体を引き取るために駆けつけた藤堂平助・服部武雄・毛内有之助も斬殺される(油小路の変)。 第43回「決戦、油小路」
12月7日 海援隊・陸援隊士が天満屋で紀州藩士・三浦休太郎と新撰組を襲撃(天満屋事件)。
12月9日 王政復古の大号令により将軍職が廃止になる。 第44回「局長襲撃」
12月18日 近藤勇、伏見の黒染辺で高台寺党の残党に狙撃され、右肩を負傷する。療養のため大坂へ下り、あとを土方歳三に託す。 第44回「局長襲撃」
1868 慶応4年
明治元年
1月3日 上鳥羽の小枝橋で薩摩兵が発砲、鳥羽伏見の戦いが起こる(戊辰戦争)。

これ以降の日本は・・・

旧幕府軍
(無抵抗を主張するグループ)
徳川慶喜、勝海舟

戦線離脱し新政府軍に恭順する

旧幕府軍
(断固戦うべしと主張するグループ)
榎本武揚、大鳥圭介、新撰組、彰義隊、白虎隊
VS
新政府軍(官軍)
近代兵器を手に入れた新政府軍は圧倒的な武力の差を見せつけ、抵抗する旧幕府軍を破っていく。

第45回「源さん、死す」
1月5日 新撰組は会津藩と共に戦っていたが長州兵におされ、淀に後退。新選組は井上源三郎ら十四名が戦死。 第45回「源さん、死す」
1月6日 土方歳三ら淀堤の千本松に布陣したが、薩摩兵に破れ敗走。 第45回「源さん、死す」
1月7日 大坂城の慶喜は松平容保・定敬を伴い開陽丸で東帰し、恭順の意を表す。 第46回「東へ」
1月10日 近藤勇土方歳三・島田魁ら天保山沖で富士山丸に乗船。 第46回「東へ」
2月12日 慶喜、上野東叡山に蟄居。 第47回「再会」
3月1日 甲陽鎮撫隊、出陣する。 第47回「再会」
3月6日 甲陽鎮撫隊、勝沼にて新政府軍と戦闘になるが敗走。 第47回「再会」
3月11日 永倉新八・原田左之助は近藤勇と意見が合わず新撰組を離脱して、靖共隊を結成。 第47回「再会」
3月13日 江戸開城の交渉成る。 第48回「流山」
4月1日 新撰組、下総流山に布陣する。 第48回「流山」
4月3日 近藤勇、新政府軍に投降。 第48回「流山」
4月4日 土方歳三近藤勇の救出にために勝海舟と会談する。 第49回(最終回)
「愛しき友よ」
4月11日 江戸城が新政府軍に明け渡され、慶喜は水戸へ退去。
4月25日 近藤勇、板橋の刑場で斬首 三十五歳。 第49回(最終回)
「愛しき友よ」
閏4月8日 京都三条河原で近藤勇の首晒される。
5月15日 上野彰義隊が壊滅、参加した原田左之助は戦死する。
5月24日 徳川家、駿府に封じられ、七十万石を賜る。
5月30日 沖田総司、江戸で病死 二十七歳。
8月19日 榎本武揚、幕府の艦隊八隻を率い脱走。
8月21日 母成峠の戦いで、新撰組敗走する。
9月14日 官軍、会津若松城総攻撃。
9月22日 会津藩降伏。
10月26日 土方歳三軍、五稜郭に入場する。
11月5日 土方歳三、松前藩の攻略に成功。
1869 明治2年 4月24日 土方歳三率いる守備軍が二股を死守。
5月11日 箱館にて土方歳三戦死 三十五歳。
5月15日 相馬主馬、新撰組隊長になる。
5月18日 榎本武揚ら降伏。戊辰戦争終わる。
1872 明治5年 新撰組隊士・斎藤一、警視庁に就職。
1877 明治10年 斎藤一、警視局警部補に任じられる。西南戦争に参戦、勲章を受ける。
1900 明治33年 3月20日 新撰組隊士・島田魁病死 七十三歳。
1911 明治44年 6月13日 新撰組隊士・篠原泰之助病死 八十三歳。
1915 大正4年 1月5日 新撰組隊士・永倉新八病死 七十七歳。
9月28日 新撰組隊士・斎藤一死去 七十一歳。

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