【ペリーの黒船来航】
〜ペリー来航の目的とは〜

1.ペリー来航の目的
嘉永六年(1853年)六月三日、四隻の黒船が江戸湾浦賀沖に現れます。
日本の開国を求めるアメリカ大統領の国書を携えたペリー率いるアメリカ艦隊です。

静かだった漁村は、江戸との間をあわただしく行き来する役人や、黒船を一目見ようとする野次馬でごったがえしました。

2.実はペリー来航を知っていた幕府
実は、ペリー来航は決して突発的な出来事ではなく、一年も前にオランダを通じて予告されていました。

さらにいうと、ペリーが来航する前にも、捕鯨船などの外国船が各地に漂着したり、船員が上陸したりしていました。

幕府は、ペリーが来航する30年以上も前から海防の必要性を議論してきましたが、財政難を理由にこれを怠り、本腰を入れて対策に乗り出したのは、まさにその時を迎えてからでした。

世界情勢をある程度感知しておきながら、何となくその時を迎えてしまった楽観的な幕府は、やがて諸外国の圧力と国内に巻き起こった「尊王」と「攘夷」の嵐に苦しむことになりました。

3.ペリー来航以前の主な外国船事件
実は、ペリー来航は決して突発的な出来事ではなく、一年も前にオランダを通じて予告されていました。

さらにいうと、ペリーが来航する前にも、捕鯨船などの外国船が各地に漂着したり、船員が上陸したりしていました。

幕府は、ペリーが来航する30年以上も前から海防の必要性を議論してきましたが、財政難を理由にこれを怠り、本腰を入れて対策に乗り出したのは、まさにその時を迎えてからでした。

世界情勢をある程度感知しておきながら、何となくその時を迎えてしまった楽観的な幕府は、やがて諸外国の圧力と国内に巻き起こった「尊王」と「攘夷」の嵐に苦しむことになりました。


択捉 1798年 ロシア人が上陸
1846年 アメリカ捕鯨船が漂着
国後 1812年 ロシア船が上陸し南部藩兵が砲撃
利尻・礼文 1807年 ロシア船、幕府の船を炎上
1848年 アメリカ捕鯨船が上陸
蝦夷 1792年 ロシア使節来航
1848年 アメリカ捕鯨船から逃げた船員15人が上陸
1850年 イギリス捕鯨船が漂着
陸奥 1736年 ロシア船が漂着
常陸 1824年 イギリス捕鯨船員が大津浜に上陸
下田 1852年 ロシアが紀州の漂流民を乗せて来航
浦賀 1817年 イギリス船来航
1837年 アメリカ船モリソン号が漂流民を伴い入港
1846年 アメリカ・東インド艦隊司令長官ビッドルが来航
薩摩 1708年 イタリア人宣教師ヨワン・シドッチが、ローマ法王の命を受け上陸
薩摩藩士に捕らえられ、シドッチは江戸に送られた
1824年 イギリス捕鯨船員が上陸、略奪し1人を殺害

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