【日米和親条約】
〜条約調印で幕府は衰亡の途へまっしぐら〜

1.攘夷一点張りの朝廷
開国か否かで問題になっていた幕府は、挙国一致の方針でこの国難にあたるべく天皇に開国の勅許(天皇のお許し)を得ようとしました。

しかし、孝明天皇が根っからの攘夷論者であったこともあり、勅許は得られませんでした。


2.条約調印で鎖国終了
天皇が攘夷を主張、かといって攘夷を実行する国力はない。
結局、意見が統一されないまま、黒船の大砲に怯えた幕府は日米和親条約に調印してしまいます。

これにより箱館、下田、長崎の三港の開港、さらに下田に領事館を設置することなどが決定しました。

ペリーの要求には「通商」も含まれてましたが、幕府は、「そればかりは追々ということで」と先送りを主張し、ペリーも空気(まだその段階ではない)を察しこれを了解します。


3.衰亡の途へまっしぐら
一度、決まりが破られてしまえばあとは「アメリカがいいなら、我国も」状態。
イギリス、ロシア、オランダと次々に和親条約を調印していきました。

このような幕府の弱腰政策に対し、志士たちが攘夷に目覚めます。


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