【老中・堀田正睦のワイロショー】
〜幕末の中間管理職、堀田正睦の苦悩〜

1.堀田正睦(まさよし)の苦悩
修好通商条約を巡りハリスと交渉を続けていた堀田正睦は、「外国の驚異を考えると開国・交易はやむを得ない」という現実の中、天皇や尊王攘夷派による強硬な攘夷論を抑えなければならないという難しい問題を抱えていました。


2.堀田正睦をさらに悩ました将軍継嗣問題
そんな中、幕府はもう一つの問題を抱えることとなります。十四代将軍継嗣問題です。

このころ十三代将軍だった家定は、国難を乗り切れるような器量がない上、病弱という頼りにならない人でした。このような状況から、幕府内では「次期将軍を誰にするか」ということがとり沙汰され始めました。

この問題を巡って、血縁重視、家定の子・徳川慶福(徳川家茂)を推す南紀派と、国難を乗り切るため利発・英明な一橋慶喜(徳川慶喜)を推す一橋派とが激しく争うことになりました。

アメリカとの交渉という難題を抱えるなか勃発したこの派閥争いは、政局を複雑にし、条約交渉がまともにできない状態になりました。

ちなみに堀田正睦は一橋派、その後の大老井伊直弼は南紀派です。


3.中間管理職の決断
混沌とした状況の中でも、堀田正睦はちゃんと仕事をしていました。

「攘夷派を抑えながら条約に調印するためには・・・・」

・幕府が尊王攘夷派を力でねじ伏せる
・幕府が攘夷を決行する

「うーん、どっちも現実的に難しい、、、」



「そうか!過激な尊王攘夷派の心のよりどころである天皇から条約の勅許を得れば、やつらの活動の理由がなくなる。」

と考えました。
さらに根っからの攘夷派である天皇や朝廷の軟化工作には莫大な賄賂が用いられました。

しかし、水戸藩などから強烈な圧力を受けた朝廷は、攘夷の方針を崩さず、結局、天皇の勅許を得ることはできませんでした。


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