【井伊直弼は実は尊王攘夷派だった】
〜すっかり悪役のイメージが定着している井伊直弼だが〜

根っからの尊王攘夷派井伊直弼
多くの参考書や教科書は、井伊直弼=開国派=独裁=アンチ尊王攘夷=安政の大獄というイメージで紹介されていますが、実は彼は根っからの尊王攘夷派で、攘夷祈願を行ったり、条約の調印にあたっては天皇の勅許を得ようと尽力していました。

と同時に彼は、徳川幕府にとって無二の忠臣でもありました。

おそらく彼の理想的シナリオは、
「天皇の勅許を得た上で開国」→「過激な尊王攘夷派を抑える」→「交易により富国強兵に努める」→「外国の言いなりにならなくてもよい強い幕府をつくる」
ということだったのでしょう。

つまり最終目標は強い幕府をつくる
そのためには、何よりまず徳川幕府の権威が失墜することを防がなければならない。

そういった思想背景のもとシナリオを進めようとしましたが、なかなか思い通りには進まず、結果として天皇の勅許なしの条約調印、安政の大獄といった半ば強引な行動に踏み切ることになります。

彼の死後に見つかった手記には、朝廷の許しを得ずに開国することの苦悩が綴られていました。
「春浅み野中の清水いてついて そこの心を知る人ぞなし」

苦悩の末、徳川幕府の権威伸長策を選択した井伊直弼でしたが、「そこの心を知る人」がいないまま、桜田門外の変で暗殺されてしまいます。

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