【桜田門外の変】
〜大老・井伊直弼の暗殺〜

1.桜田門外の変とは
水戸藩や薩摩藩の浪士十八名(水戸藩浪士十七名、薩摩藩浪士一名)が、江戸城桜田門外で井伊直弼を暗殺した事件をいいます。
原因は、井伊直弼が行った安政の大獄による弾圧、及び同じく井伊直弼が戊午の密勅事件で水戸藩に下された勅許の返還を強く迫ったことにに対する反感から起きたものでした。


2.この頃はまだ倒幕というより、単に反幕府だった
浪士もっていた書状には「幕府政治を改めるのが目的であった」とあり、まだ「倒幕」という意識はないことがうかがえます。

しかし、天下の大老が白昼いとも簡単に討たれ、幕府の権威が衰退したことを天下に知らしめる結果となったこの事件は、尊王j攘夷を志す反幕府の浪士たちに「倒せるかもしれない」という意識を生じさせることになりました。


3.なぜ3月3日に決行されたのか?
3月3日の雛祭りは、江戸にいるすべての大名が登場する決まりがありました。現代のように早く正確な情報網がなかった当時の浪士たちは、確実に井伊直弼が登城する日を選びました。


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