【公武合体論とは】
〜幕府の威信を回復するための秘策、そして困難な交換条件〜

1.公武合体論とは
幕府に異を唱える過激な尊王攘夷派を抑えるべく、幕府は朝廷の協力を得ようとします。

「公」とは朝廷、「武」とは幕府、すなわち「公武合体論」とは朝廷と幕府が歩調を合わせ、国難を乗り切ろうとするリーサルウエポンでした。

この公武合体論を画策したのは、大老井伊直弼の後を継いだ筆頭老中・久世広周と老中安藤信正でした。

そして彼らが画策した公武合体の具体案は、孝明天皇の妹・和宮(かずのみや)の将軍家への降嫁でした。



2.朝廷説得に乗り出した元500円札、岩倉具視
大老井伊直弼が討たれたことにより、幕府がその権威を再び天下に示すには、和宮降嫁の一策しか残されていませんでした。しかし、朝廷の説得にあたりいくつかの問題が生じありました。

・和宮には既に許嫁がいたこと
・攘夷派孝明天皇は幕府の開国策に批判的で、さらに外国人が駐留する関東に妹を嫁がせる のは忍びないを考えていたこと
・和宮自身、政略結婚というものを拒絶した

このとき朝廷に和宮降嫁を強く説いたのが、後に倒幕派の中心人物の一人となる岩倉具視でした。


3.歴史を動かす重大な交換条件
交渉にあたった岩倉具視は、難色を示す孝明天皇を初めとする朝廷陣営に交換条件以下のような交換条件を申し入れました。

「和宮降嫁の交換条件として幕府に攘夷決行を約束させる」

さらに岩倉具視は、ゆくゆくは政治の主導権を朝廷に移行させることも考えていたようで、孝明天皇はこれを受け入れ、和宮降嫁が実現することになりました。

その後、岩倉具視は和宮の東下りに随行し幕府から攘夷決行の約束文をもぎ取ることに成功しました。

これにより公武合体の願いがかなった幕府でしたが、攘夷決行というできもしない約束をすることになりました。

少なくとも幕府や長州藩の人たちは「幕府がいずれ攘夷を決行する」という約束が現実になるとは思ってなかったでしょう。

しかし、近藤勇率いる新撰組はそんな現実を知る由もなく、「幕府がいずれ攘夷を決行する」という言葉を信じ活動していきます。


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