【天誅を望んでいなかった孝明天皇】
〜倒幕を志す過激尊王攘夷派は、都合がいいように解釈してしまった〜

1.孝明天皇の意志とは
天誅の名のもと至る所で暗殺事件が発生していましたが、このような行為が孝明天皇の意志であったかというと、決してそうではありません。

確かに孝明天皇は極端な攘夷論者でしたが、血生臭いことはことは好まず、幕府を倒そうという気も全くありませんでした。


2.都合がいいように解釈する過激尊王攘夷派たち
しかし、倒幕を志す過激尊王攘夷派は、天皇が意図する攘夷という一点だけをつかまえて「攘夷もしない幕府は天皇の敵であり、天皇の意志に背く敵を討つことは天皇ご自身の意志に沿うことである」と都合がいいように解釈してしまいました。

※これが尊王攘夷派=倒幕派という私たちが歴史を学ぶ上で間違った固定概念を持ってしまう原因ともなっています。

それに対し孝明天皇は、幕府から京都守護職の任命を受けた会津藩主松平容保に対し多大な期待と信頼を寄せています。これはまさに、自分の意を離れて活動する彼らに嫌気がさしていた証拠でもあります。


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