【寺田屋事件】
〜薩摩藩士の同士討ち〜

1.寺田屋事件とは
薩摩藩の過激な倒幕藩士、有馬新七、柴山愛次郎らは、幕府寄りの公卿や京都所司代(主に朝廷を監視役)を襲おうと画策し、旅籠寺田屋に終結していました。

一方、薩摩藩で実権を握っていた島津久光は、むしろ公武合体を推し進めていました。

この不穏な動きを察知した久光は、その計画を思いとどまらせようと奈良原喜八郎らを寺田屋に向かわせます。

寺田屋についた奈良原は思いとどまるよう久光の意を告げますが、有馬たちは聞き入れず斬り合いに発展してしまいました。


2.寺田屋事件の前段、ああ勘違い
島津久光はより健全な公武合体を推し進めるため、幕政改革に乗り出します。
彼のプランは、まず京都に向かい幕政改革の勅許を得て、その後江戸の幕府に向かう予定でした。(一大名が勅許というバックアップがないと幕府に口出しできないので)

かくして久光は兵千人を率いて薩摩を出発します。

しかし、ちょうどその頃、久留米藩士・真木和泉らが薩摩藩に倒幕の働きかけをしていたため、これは実は倒幕の兵であると深読みし勘違いするものが出てきました。(これが、有馬新七たちです)

「久光は上洛したが、一向に倒幕に乗り出す気配がない」と痺れを切らした有馬たちは、倒幕の足がかりとして幕府寄りの公卿や京都所司代を襲おうと画策し、寺田屋事件へと発展していきました。


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