【文久の改革】
〜外様大名島津久光が成し遂げた改革とは〜

1.まずは勅許を得る
幕政改革のため江戸に向かった島津久光は、まず幕政改革の勅許を得ようと京都に向かいます。

京都入りした島津久光は思いの外、簡単に勅許を得ることに成功します。

理由
・朝廷、島津とも公武合体派だったから
・久光の改革案に中に「攘夷については幕府と検討すべし」という意見があり、
 攘夷派孝明天皇にとっては、幕府に対して攘夷を進言してくれる者に対し
 協力を拒む理由がなかったから。

注意:同音異義語「公武合体」

「私は公武合体派です」
誰が言っても同じように聞こえるであろう言葉です。
しかし実際は発言する人によって意味が異なっていたようです。

名目上:幕府と朝廷が協力して国難を乗り切るための公武合体
幕府本音:朝廷の力を利用して過激な尊王攘夷運動を抑えるための公武合体
天皇本音:攘夷を決行させるための公武合体
外様本音:幕政改革を理由に外様大名が幕政に対し発言権を得るための公武合体


2.いざ江戸へ
かくして島津久光は勅使大原重徳(公家)とともに江戸に向かいます。

将軍家茂と会見した大原は天皇の意志として次の改革案を述べました。

1.将軍が京へ上り、攘夷について討議すること。
2.薩摩・長州・仙台・加賀藩の国政進出を認めること。
3.一橋慶喜を将軍御見職に、福井藩主松平慶永を大老にすること。

この改革の要点は、安政の大獄で失脚した一橋派の登用でした。
幕府はこの案を受け入れます。

これらを称して「文久の改革」といいます。


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