【清河八郎、尊皇宣言文の建白書を御所学習院に提出】
〜清河八郎どんでん返し作戦のプロセスとテクニック〜

プロセス1 〜軽く説明〜
清河八郎は、京都到着早々、新徳寺に集められた浪士たちに向かって次のように言います。

「今度、上京したことについて御所に報告するが、反対するものはいるか?」

偏差値40からの【新撰組通史】冒頭で述べたように、もともと尊王攘夷の志をもっていた浪士たちにとって、何ら問題のある話ではありませんでした。


プロセス2 〜建白書提出〜
次に清河は下記の建白書を学習院(公家の学校)に提出するので浪士全員に署名するよう促します。

「幕府の募集に応じて上京したが、それは尊王攘夷を実行するためであり、もし攘夷を求める朝廷の意志を妨げる動きがあるときは、それが誰であってもその罪を厳しく追及するつもりである」

これも幕府主導の攘夷決行を信じる浪士たちにとっては、何ら問題のある話ではありませんでした。


プロセス3 〜ガツンと本音〜
提出された建白書に対して朝廷から攘夷実行の達しが下されます。
尊王攘夷を志す浪士組の存在が朝廷に認められたことになります。

早速、清河八郎は新徳寺に浪士全員を集め本音を語ります。

「浪士組の尊王攘夷という存在意義が朝廷に認められた。よって、戦争がいつ始まるかも知れない江戸へ戻り、その備えしたい旨を朝廷に願いでようかと考えている」

と発言します。

ここでいう戦争とは、生麦事件により横浜に入港しているイギリス艦隊に対するものでした。尊王攘夷論者だった清河は、朝廷からの命令があれば浪士組は幕府の指揮下から離れ、自分の思うとおりに行動できると考えたのでした。


プロセス4 〜自分もどんでん返しをくらう〜
江戸帰還という発言に対し一同は納得したかのように見えましたが、ここで初めて異を唱えるものがあらわれます、

それが、芹沢鴨・近藤勇グループでした。

確かにこのまま江戸に帰っても尊王攘夷にはかわりはないが、清河の幕府をないがしろにするやり方に納得がいきませんでした。

これまで思い通りにことが進んできた清河は当然激怒し激論になりましたが、同席者の仲裁もあり「勝手にしろ」といいその場は収まりました。

かくして、芹沢鴨・近藤勇グループは京都に残留し、攘夷のために上洛する将軍家茂の警護にあたることを決断したのでした。


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