【会津藩松平容保の御預りとなる】
〜京都に残留した近藤・芹沢グループのその後〜

1.京都残留組
清河八郎率いる浪士組が京都を去る三日前、京都守護職を努める会津藩主・松平容保は、幕府から京都に残留を希望する浪士たちの差配を命じられました。

これに応じて近藤・芹沢グループの十七人も容保に対して市中警護の任務をするとの許可を願い出ます。


2.もう一つの京都残留組
近藤たちの嘆願書が会津藩に認められ、「松平肥後守御預り」となりましたが、実は近藤たちの他にも京都に残留した者がいました。殿内義雄ら七人です。


3.「松平肥後守御預り」二十四名の内訳
芹沢グループ 近藤グループ その他 殿内・家里グループ
芹沢鴨
新見錦
平山五郎
野口健司
平間重助
近藤勇
山南敬介
沖田総司
土方歳三
井上源三郎
永倉新八
原田左之助
藤堂平助
粕谷新五郎(脱走)
阿比留鋭三郎(病死)
斎藤一
佐伯又三郎
殿内義雄(殺害)
家里次郎(切腹)
神代仁之助
鈴木長蔵
根岸友山
遠藤丈庵
清水吾一
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