【壬生浪士、初めての公務と同士募集】
〜ついに活動開始〜

1.初めての公務とは
同年三月四日に二条城に入っていた将軍家茂は、摂海(大阪湾)の海防状況を巡視するため大坂に下ることになりました。朝廷を五月十日に攘夷決行を約束してしまった手前、行かざるを得ない状況だったのでしょう。

その情報を知った壬生浪士は会津藩を通して、将軍の道中警護の列に加わりたいと願い出て許しを得ました。

彼らはこの晴れ舞台にあの「だんだら羽織」を身にまとったのでした。


2.京都・大坂での同士募集
会津藩から「人数が足りない」と指示を受けた壬生浪士たちは、京都市中で同士の募集を開始しました。

条件
・尊王攘夷の志があること
・攘夷には武力が必要となるので、その能力に自信があるもの
(壬生浪士がいう尊王攘夷とは、「天皇と攘夷実行を約束した将軍とともに尊王攘夷を志をもって活動しよう」という意味であって、倒幕派という意味での尊王攘夷ではありません)

一方、大坂でも同士募集を行いました。
出動した壬生浪士たちは、大坂の道場をまわって自分たちの尊王攘夷の志を説明し同士を募っていきました。

このとき、「だんだら羽織」という目を引く格好をしていたおかげで、それがなかなかの宣伝となったようです。


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