【大坂力士乱闘事件】
〜斎藤一、痛恨の腹痛〜

1.大坂への出張
壬生浪士は不逞浪士たちが横行している大坂への出張を命じられます。というのも、京都は、前年設置された京都守護職による警備が厳しいため、大坂に流れるようになっていたからです。(かつてチーマーが渋谷から池袋に流れたように)

このとき、出動したのは、芹沢鴨、近藤勇、山南敬介、沖田総司、永倉新八、平山五郎、野口健司、斎藤一、井上源三郎、島田魁の十人でした。

到着後、不逞浪士たちの宿所に向かい、逮捕、身柄を町奉行所に引き渡しました。


2.力士との遭遇
一仕事終えた彼らは、淀川に面している京屋の小舟に涼みに出かけることにしました。

近藤、井上を除く八人が乗り込んだ小舟は、淀川を下っていきましたが、ここで斎藤一が腹痛を訴えたため、急遽下船し介抱するため北新地の住吉楼に向かうことになりました。

その途中、小さな橋で大坂力士とすれ違いました。
狭い橋、本来であれば身分上、力士が道を譲るべきでしたが、壬生浪士をあなどったのか、そのまま進み、おまけに足を踏んで(半分故意)しまいました。

8人は斬り捨てるべき所をぐっとこらえ、殴りつけるだけで先に進みます。

さらに、また別の狭い橋で大坂力士に遭遇した八人は、今度はすれ違うときに無礼な言葉を口にします。ここも斎藤の介抱を優先し、ぐっとこらえ、殴り倒して先に進みます。
(さらっと書きましたが、そんなに簡単に力士を殴り倒せるものなのでしょうか?)


3.力士との乱闘
住吉楼に入って介抱をはじめると、外が騒がしくなりはじめました。

外には六角棒(攘夷に備えて町奉行から支給された武器)で武装した力士数十人が殴られた力士の復讐にやってきました。

力士たちは「私たち大坂力士が攘夷の先鋒を志す義徒であるのに、なぜ無礼な態度をとるのだ!」と大声をあげます。

それに対し芹沢鴨は「ここにいる。無礼をすると容赦なく斬り捨てる」といい壬生浪士たちは外に飛び出し乱闘となりました。

散々に斬り立てられた力士たちは、三人の重傷者に加え十数人の負傷者を出して退却していきました。


4.友好関係
芹沢はこの一件を近藤勇と相談の上、町奉行所に届け出ます。

翌日、重傷者一人を死亡させた力士たちも奉行所に足を運びますが、相手が壬生浪士だと知ると恐縮し詫びをいれたため、これを快諾した壬生浪士は力士たちと友好関係を結ぶことになりました。

この友好関係は、後に開催された大坂相撲と京都相撲で壬生浪士が警備を担当することになるほどのものでした。


トップ