【新見錦の切腹】
〜芹沢グループ一掃のはじまり〜

1.平山五郎の台頭
新見錦は、芹沢グループで第二の地位であるとともに、壬生浪士全体でも局長という地位にありました。しかし、そんな新見錦にかわり、同グループで副長助勤だった平山五郎が次第にその実力を発揮、台頭しはじめてきます。

平山は勢いに乗り、短期間のうちに局長クラスまで一気に昇進、一方、新見は一気に没落し、壬生浪士はおろか、芹沢グループからも不必要な存在になっていきました。


2.荒れる新見を見放した芹沢
自分の不甲斐なさを感じた新見は荒れ、各所で乱暴をはたらくようになっていきました。
そして、その行動は次第にエスカレートし、隊規(士道に背きまじきこと)に触れるような行動までとるようになりました。

そんな新見の行動を見かねた近藤勇、さらには芹沢鴨までもが、やめるよう説得に当たりました。

しかし、新見は聞く耳を持ちませんでした。

このような態度をとられては、芹沢も弁護の余地はなく、ついに壬生浪士の総意で切腹させることになりました。



3.新見錦の切腹
壬生浪士の意を含んだものなのか、壬生浪士に手を下されるのを嫌ったのか真相は明らかでありませんが、壬生浪士に手を下される前に早々と自ら切腹し最期をむかえました。享年28歳。


4.歴史は繰り返される(新撰組版)
後に近藤グループでも同じようなことが起こります。
第二位の地位だった山南敬介が土方歳三の台頭とともに没落、
隊規に背く行動をとった山南敬介は新見同様、切腹することになりました。


トップ