【真木和泉の最期】
〜山崎・天王山の戦い〜

真木和泉の最期
会津藩と新撰組は、長州の敗残兵が立てこもる山崎の天王山に迫ります。

新撰組は隊を二分し、一隊は近藤勇が率いて天王山に向かい、もう一隊は土方歳三がまとめて麓の宝寺に待機しました。

近藤率いる新撰組が攻めのぼっていくと、金の烏帽子に錦の直垂、手には金切割の采配を握った男が現れ、大声で叫びました。

「私は毛利家家臣の真木和泉である。互いに名乗りを上げて戦おう」

これに対し近藤も「私は幕府配下の近藤勇である」と応じました。

その後、真木は詩吟をうたい、続けて「エイ、エイー」と声をあげると配下もものもこれに応じ声をあげ、一斉に発砲しました。これが、最期の儀式だったのかもしれません。その後、後方に退き、陣小屋に火をかけ、真木和泉を含む17人全員が自刀して果てました。

近藤勇は、この見事な最期を誉めてやまなかったといいます。つまり、真木の最期の姿こそ、自らの目指す英雄の姿だったからです。

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