【馬関戦争】
〜厳冬期・長州藩〜

1.列強の報復と長州の完敗

前年の5月10日、単独で攘夷を決行したの長州藩に対し、イギリスの公使オールコックは、イギリス、フランス、オランダ、アメリカが手を結び長州藩へ報復することを提唱します。

オールコックは、和親条約が結ばれてから10年以上経つのに一向に改善されない日本への見せしめとしてという思いもありました。

そして、8月5日午前4時10分、開戦の火蓋が切って落とされました。

しかし、戦争と呼ぶにはふさわしくないほど列強に攻め込まれ、長州藩は和議を申し入れることになりました。


2.停戦の条件
・下関における薪水の給与
・安全確保
・賠償金支払い

などがありましたが、賠償金に関しては、高杉晋作の巧みな交渉により幕府に押しつけてしまいました。

【交渉手順】
・先のあなた方への攻撃は幕府の命令で行ったものです。
・その証拠に幕府は5月10日に攘夷を行うと宣言していました。
・なので、賠償金は幕府に請求してください。


3.厳冬期・長州藩・・・しかし

すべての戦いにおいて敗れ、しかも朝敵のレッテルまで貼られた長州藩は、厳冬期に入ります。

しかし、桂小五郎や高杉晋作など、まだまだ優秀な人材が残っていた長州藩は信じられないスピードで倒幕雄藩へと再生していくのでした。


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