【伊東甲子太郎の入隊】
〜尊王攘夷集団と信じて入隊した伊東〜

1.藤堂平助が勧誘
池田屋事件で眉間に重傷を負った藤堂平助は、近藤らに先立ち江戸にくだっていました。療養を兼ねて、ある特定の人物を入隊させるためでした。

8月下旬までに江戸にくだっていた藤堂は、そこで北辰一刀流の道場を開く伊東甲子太郎を訪ねました。

北辰一刀流の剣客だった伊東はまた熱心な尊王攘夷論者でもありました。
かつて伊東の寄り弟子だったという藤堂は、攘夷をなかなか実行できない近藤率いる新撰組の体質を変えるために、本来尊王攘夷集団であった新撰組へ勧誘したのでした。


2.伊東甲子太郎の入隊
伊東は王城の地、京都で尊王攘夷を実行するため、新撰組への入隊を決心します。

そして、近藤を訪ね、
「新撰組の勤王は、真に王事につかえる主義の勤王でござろうな」
と念を入れ正式に入隊を決した言われています。


3.新撰組は尊王攘夷集団か佐幕集団か
新撰組は、本来、尊王攘夷集団として出発しましたが、実際に攘夷を行うことなどなかったことから、幕府主導の佐幕集団的なイメージが強くなっていきました。

特に池田屋事件以降は、佐幕色が強くなり、藤堂や山南など不満を持つ隊士もいました。


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