【近藤勇の広島出張】
〜その目的とは〜

近藤勇の広島出張と目的
幕府は第二次長州征伐に向け、長州訊問使として大目付の長井尚志(なおゆき)を派遣することになりました。いずれ長州藩と決着をつけなければならないと考えていた近藤勇は、この訊問に同行することを願い出てました。

長州の実態を探るためです。


近藤勇の遺言
同行を許された近藤勇は、敵陣に乗り込む危険な任務に先立ち、郷里に手紙を送っています。

「自分に万が一のことがあれば、新撰組は土方歳三、天然理心流は沖田総司に継がせたい」

これはさながら遺言のようでした


近藤勇、一時的に名前を変える
近藤勇に同行したのは、

伊東甲子太郎、武田観柳斎、尾形俊太郎、さらに諜報要員として、山崎烝らも同行しました。

この時、近藤勇は、天然理心流の創始者「近藤内蔵之助(くらのすけ)」という名前に変名していました。これは池田屋事件で一躍有名になった「近藤勇」という名前では長州人に対して刺激が強すぎるだろうと考えたからです。


近藤勇、入国できず
広島に到着した訊問使一向は、国泰寺で長州藩の代表と会見します。

その席上、新撰組4名(近藤、伊東、武田、尾形)の長州藩入国が要請されましたが、長州藩はこれを拒否。

長州藩は自らを朝敵にまで追い込んだ薩摩藩と会津藩を心から恨んでおり、その先兵とも言うべき新撰組を入国させるはずはありませんでした。

そして、近藤らは無念の帰京となってしまったのです。

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