【河合耆三郎、斬首(切腹とも)】
〜米問屋の長男、河合の最期〜

河合の最期
播磨国加古郡高砂(現在の兵庫県高砂市)の米問屋の長男だった河合は、文久3年(1863年)6月ごろの入隊時から隊の会計を担当する勘定方に就任していました。

慶応2年2月、公金のうち50両がなくなっていることに気づきましたが、表沙汰にはせず実家に用立てるよう依頼しました。

しかし、ちょうど父親が不在だった実家からの送金が遅れるうちに公金の不算が発覚、同年2月12日に斬首あるいは切腹となりました。享年29。

墓碑は光縁寺と壬生寺にたち、その埋葬地は確定できていません。
光縁寺は新撰組の菩提寺で山南敬助の墓の傍らに刻銘があります。

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