【第二次長州征伐と将軍・家茂の病没】
〜復活した長州藩〜

第二次長州征伐 幕府軍 対 長州軍
近藤勇らも同行した広島出張で幕府は、長州処分案として、10万石の削封を申しつけました。
しかし、長州はこの削封を受け入れることはありませんでした。

これに対し、幕府はついに戦端を開きます。

圧倒的な兵数をもって長州藩内に攻め入った幕府軍でしたが、長州軍と軍備には歴然たる差がありました。

薩摩藩の協力を得て臨戦態勢を整えていた長州軍の兵は、戦場で動きやすいよう軽装し、最新の武器を携えていました。それに対し幕府軍の兵は、戦国時代を彷彿させる武者スタイルだったといいます。

長州軍は各方面で連戦連勝していきます。


将軍・家茂の病没
このさなか、大坂城内で幕府軍の総指揮をとっていた将軍・家茂が脚気のため病没、幕府軍は完全に浮き足立ってしまいました。


幕府軍の敗戦
その後、難攻不落といわれた小倉城が高杉晋作率いる奇兵隊の攻撃に陥落。幕府の敗戦は決定的となってしまいます。そして幕府は、家茂の喪に服することを名目に、一大名にすぎない長州藩と停戦交渉に臨むことになりました。

このとき、幕府側の代表として臨んだのが謹慎中の勝海舟であり、勝海舟を指名したのがこの年将軍となった一橋慶喜でした。

倒幕志士と深いつながりがあった勝は、スムーズにその役目を果たしましたが、幕府の弱体化は誰の目にも明らかな状態になってしまいました。


時代に取り残されはじめた新撰組
新撰組の宿敵長州藩は、攘夷を捨て外国から近代兵器を取り入れることで軍備の強化に成功しました。

新撰組が内部闘争に明け暮れていているうちに、長州藩は刀や槍では到底太刀打ちできない相手に変貌していたのでした。

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