【三条制札事件】
〜ところで制札って?〜

三条制札事件
第二次長州征伐での幕府軍の敗北により、8月21日、長州征伐中止の勅許が出されます。

三条大橋西詰に設けられた制札場(制札とは寺社や道ばたなどに立てた禁止や命令を墨書きした木の札のこと)には、禁門の変により朝敵となった長州藩を避難する制札が立てられていましたが、8月28日夜に引き抜かれ、文字が墨で消された上、鴨川の河原に投げ捨てられるという事件が発生します。

幕府は再び立て直しましたが、同様な事件が発生したため、新撰組を警備につかせました。

そして9月12日、ついに犯人が姿を現します。

その夜警護していた、原田左之助率いる七番組は、犯人の一人を斬り捨て、一人を捕縛、残りは取り逃がしたものの、うち重傷者の一人は翌日になって自刀していました。

犯人は土佐藩士でしたが、土佐藩が近藤や土方らを祇園の料亭に招き、藩士の非行を詫びたことで事件は解決しました。

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