【孝明天皇の崩御】
〜暗殺か?〜

慶喜就任と天皇崩御
第十五代将軍となった徳川慶喜は、その年の8月から軍制改革に手をつけるなどその実力を発揮しつつありました。その動きは桂小五郎をして「家康の再生をみるようなものだ」と言わしめるほどでした。さらに長州征伐に失敗したものの孝明天皇の絶大な信頼を得ていたため、その政権は揺るぐことはないと思われました。

しかし、慶喜が将軍に就いてわずか10日後、孝明天皇がにわかに発病し、さらにその10日後に崩御してしまいました。

死因は天然痘によるとされましたが、孝明天皇がいる限り幕府は倒れることはないと判断した長州系公卿が闇の手を動かしたのではないかとも言われています。

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