【佐野七五三之助・茨木司らの脱走と自刀】
〜なぜ脱走し自刀したのか〜

幕臣取り立てに反対するものもいた
大半の隊士は、新撰組の幕臣取り立てを前向きにとらえましたが、中には反対の意志を表明するものもいました。

茨木司、佐野七五三之助、中村五郎、冨川十郎の4人+入隊間もない6人名の計10人は、このまま新撰組に在籍すれば、本望ではない幕臣となってしまうと考え、脱走を決意します。

メンバーの一人佐野は、伊東甲子太郎の誘いで新撰組に入隊したこともあり、御陵衛士への入隊を試みました。



もてあます伊東
突然の訪問を受けた伊東は、新撰組との間で定めたお互いの隊への移籍禁止のルールに従い、「今、ここに来るのはよくない。新撰組の恨みを招くだけだ。今しばらく時勢を待ちなさい」と説得、入隊を拒否しました。

とは言いながらも、彼らがこのまま新撰組に帰れば切腹となってしまう。

もてあました伊東は、彼らに会津藩に相談することを提案しました。


もてあます会津藩
翌日、彼らは会津藩の駐屯する京都守護職邸に嘆願書を提出しました。

「尊王攘夷の気運のなか、尽忠報国の志をもって一途に藩を脱走したのだから、今さら幕臣の格式を頂戴することは、二君に使えることとなり、脱藩した藩に対し面目ないので、できない。新撰組を離隊したいので、恐れながら会津藩から局長に指示してくださるよう願います」

会津藩は、佐野らに思い止まるよう説得しましたが、埒があきません。

もてあました会津藩は新撰組に連絡し、彼ら10人と話し合うよう命じました。


近藤局長登場
新撰組からは、近藤、土方ら幹部クラス5人が訪れ彼らを説得しましたが、夜の10時になっても決着がつかず、翌日再度会談を持つことを約束しその日は物別れに終わりました。

その日の会談内容を聞いた伊東は、さすがに黙殺するわけにはいかなくなり、明朝、密かに伊東の休憩所に来るよう伝えます。しかし、佐野らはこのとき既にある決心をしており、伊東を訪ねることはありませんでした。


そして自刀
翌日、再び京都守護職邸で会議は始められましたが、あいかわらず平行線をたどるばかり。やがて佐野、茨木、冨川、中村から、「我々4人は幕臣として召し抱えられるので、その代わり残りの6人を離隊させてほしい」と願い出ます。

さらに4人は、相談ごとがあるからと一間を借りたいと希望し一時退席します。

しかし、長時間が経過しても戻ってこず、声をかけても返事がないため、襖を開けてみると、そこには切腹をはかった4人の姿がありました。



残された6人
新撰組は、佐野らの行為を武士の鏡として評価し、葬儀も隊をあげて行われました。そして、残された6人も佐野らの意志が尊重され放逐処分となりました。
(斎藤一)


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