【武田観柳斎の最期】
〜刺客の謎〜

新撰組か御陵衛士か
新撰組のブレーンとして近藤勇に重用されていた武田は、

「新撰組は貴殿のものである。われわれは臣下としてつかえるでござろう」

などと近藤に取り入ることがよくあり、隊士にはあまり良く思われていませんでした。
また、武田が得意とした甲州流軍学も時代遅れとなり、次第に隊にとって必要ない人物になっていきました。

武田は、新撰組が幕臣に取り立てられた慶応3年6月には隊を離れており、同22日、竹田街道で新撰組に斬殺されてしまいました。

この刺客に関しては、御陵衛士へ入隊したいと接触を図ってくる武田を処分するため、斎藤一と篠原泰之進(時期的に御陵衛士)に斬殺させたという説もあります。


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