【新撰組江戸へ】
〜おいおい、慶喜よ〜

徳川慶喜の東帰
京都への進軍を許可した徳川慶喜は、兵数で圧倒的有利な旧幕府軍の敗走、錦の御旗の出現により旧幕府軍が賊軍になるといった予想外の出来事に直面していました。

慶喜は、

「たとえ千騎が戦死しても一騎になっても、退却してはならない。この地に敗れても関東がある。関東が敗れても水戸がある。決して途中で止まってはならない」

と前線の兵たちを激励する発言をしておきながら、本人は次の日までには大坂脱出してしまおうと考えていたのでした。

そして次の日の夜、闇にまぎれて大坂城を脱出。
翌朝には天保山沖に停泊していた開陽丸に乗船し、松平容保・定敬とともに江戸へ向けて出航。旧幕府軍総大将は、新撰組はじめ旧幕府軍を見捨て、敵前逃亡してしまうのです。


新撰組の東帰
さて、指揮官に見放された新撰組や旧幕府軍は、大坂での抗戦をあきらめ、陸路や海路で江戸やそれぞれの国に帰還することになりました。

新撰組は海路で、天保山沖に停泊する旧幕艦二隻に分譲し帰還しました。

まず、永倉新八らが輸送船・順動丸で先発し、続いて近藤、沖田、土方らが軍艦・富士山で江戸に向かいました。


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