【近藤勇の最期】
〜近藤勇、板橋の刑場で斬首〜

近藤勇の処分
例えば東京裁判のように、これまでの歴史では勝者が敗者を裁くという公正さを欠いた裁判が幾度となく行われてきました。そして、必ずといっていいほど、勝者の悪い点には一切触れず、敗者の言い分や真実を無視する形で行われてきました。

本来、歴史の教訓として真実やそれに至った背景を後生に残すべき事柄を、勝者の私怨や保身のためだけに歴史の1ページから抹消してしまうこのような行為により、人類は何度も愚かな行為を繰り返してきました。

近藤勇の処分についても同様で、勝者の新政府軍が敗者を裁く形で行われました。

当初、新政府軍内では、坂本龍馬暗殺を新撰組の仕業だとし極刑を主張する土佐藩と、私怨ではなく公正に裁くべきだと主張する薩摩藩とで意見が割れていました。

しかし、このような場合、敗者に味方するような意見は弱く、事実、最後には薩摩藩がおれ、公開斬首が決定されてしまいました。


近藤勇の最期
この日、板橋の刑場に運ばれた近藤は、黒羽二重に黒の紋付羽織という姿で、ヒゲが伸びていたといわれています。

刑場にはムシロが敷かれ、さらにその前には穴が用意されていました。

ムシロの上にたち、見納めとなる江戸の空をしばらく眺めた近藤は、床屋を呼び、ヒゲを剃らせてくれと希望し、聞き入れられました。

そして、ヒゲを剃った近藤は、「ながながとご厄介になった」と周りのものに挨拶し、
首を差し伸べました。

その瞬間、太刀取りの刀は一閃、35年の短くも波乱に満ちた生涯が終わったのでした。


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