【土方歳三の最期】
〜近藤・沖田のために最期まで戦った土方〜

ラストサムライ土方歳三
近藤出頭後、政治工作などやるべきことをやった土方歳三は、旧幕艦隊を率いる榎本武揚、旧幕陸軍を率いる大鳥圭介らとともに、東進する新政府軍に抵抗しながら北上していきます。

そして、会津にいた土方歳三に近藤勇が斬首されたとの知らせが入りました。
公開処刑という極刑になるのであれば、流山で近藤勇が望むよう武士として死なせてやりたかったという悔やんでも悔やみきれない責任を感じることになりました。

さらに、その数日後、近藤勇を追うように沖田総司がこの世を去りました。

この時土方は、近藤、沖田のためにも最後まで戦うこと、つまり殉死を決意しました。

実際、次のようなことも語っていたといわれています。
「私が流山で近藤勇とともに死ななかったのは、幕府のえん罪をそそぎたがったからにほかならない。万が一、生き長らえることになれば、あの世で近藤にあわせる顔がない」

北上を続けた土方歳三は、ついに蝦夷地・箱館へたどり着き、そこで新政府軍を迎え撃つことになりました(箱館戦争)。

土方歳三は、これが最後の戦い(殉死)になることを認識していました。

それでも新政府軍を前に奮闘する土方でしたが、
ついに一発の銃弾が土方歳三の体を貫きました。

そして落馬した土方歳三が再び目を開けることはありませんでした。

カリスマ土方を失った旧幕府軍にもはや抵抗する力は残っていませんでした。土方の死から一週間後、榎本武揚は新政府軍に降伏し、すべては終結しました。

もう昔には戻れない。最後まで新撰組を背負って戦った土方歳三は、自らの死をもって、新撰組そして幕末という時代の幕を引いたのでした。

以上で当サイトも完結いたします。
長い間、ご覧いただきありがとうございました。

2004年6月に開設した当サイトですが、図解池田屋事件とあわせ、2004年12月までの短い期間に、のべ100万ページ以上ご覧いただいたという結果になりました。

歴史の教科書の中では、決して表舞台に立つことはない新撰組ですが、この数字を見ると、私たちの心の中では、今でもしっかりと
歴史の表舞台で活躍し続けているようです。



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