まずは、物語スタート時の時代背景を頭に入れて下さい。
【ポイント:源氏は滅亡寸前だったが平氏は頼朝と義経を生かした】
1159年、時代は平安時代。
源平争乱の中、平清盛率いる平氏が勝利し、源氏にとって冬の時代。
源氏の総大将だった父源義朝と兄は討ち取られるが、幼かったは頼朝と義経は死を免れた。
そのかわり、頼朝は伊豆、義経は鞍馬山で平氏に監視されながらひっそりと幼少期を過ごした。

 では簡単なあらすじをご覧下さい。
源氏の嫡流として生まれた義経は、
苦難の生い立ち、鞍馬山での修行、弁慶ら運命的な家臣との出会いを経て、立派な武将へと成長する。

そして、平家討伐に立ち上がった兄・頼朝と劇的な出会いを果たした義経は、
平氏との度重なる合戦において、比類ない活躍を示し、ついに平氏を滅ぼしてしまう。
数々の戦功を上げた義経は、やがて人々のカリスマ的存在になっていく。

一方、次第に力をつけ地位を向上させていく義経をよく思わない者もいた。頼朝もその一人である。
いつしか義経と頼朝の間には埋まることのない溝が生じていた。

そして、ついに義経追討の命が頼朝により発せらた。
苦しみのうちに流浪の旅にでた義経は、弁慶らとともに奥州平泉たどり着く。

しかし、今や天下人となった頼朝との確執は決定的であった。
頼朝の圧力は、奥州平泉にも及び、そして義経は悲劇的な最期をとげることになる。


 次に義経にまつわる有名なエピソードを紹介します。年表は気にせず何があるかだけご覧ください。

西暦 できごと 有名なエピソード
1159年 源義経が源義朝の九男として生まれる。
平治の乱が起き、義朝が敗れる。
1160年 義経(牛若)は、母の常盤とともに各地を平氏の追っ手から逃れて旅をした後、平清盛のもとに出頭する。
母親の違う兄の頼朝は、捕らえられた後。伊豆(静岡県)に流される。
1167年 平清盛が太政大臣になる。
1169年 このころ、義経は鞍馬寺(京都)にあずけられ、遮那王と名づけられる。 鞍馬天狗
義経は鞍馬天狗に兵法を教わったという伝説。
1174年 義経が鞍馬寺を出て、平泉(岩手県)の藤原秀衡のもとへ行く。 中尊寺金色堂
平泉で栄えた奥州藤原氏の文化の象徴。
1180年 木曽義仲が信濃で、源頼朝が伊豆から平氏を討つため兵を挙げる。
義経が、平泉から頼朝のもとにかけつけ対面する。
1181年 平清盛が死ぬ。
1183年 木曽義仲が京都に入り人々に乱暴をはたらく。
1184年 義経は初陣で木曽義仲をやぶる。
義経が一ノ谷で平氏をやぶる。 鵯越の逆落とし
鹿が下りられるのなら馬も下りられると考え急峻な岩壁を駆け下りて奇襲を成功させた。
義経が頼朝の許可なく後白河法皇より判官の役職を授かり、頼朝は激怒する。 判官びいき
頼朝や梶原景時の仕打ちを恨み、義経(判官殿)に同情、ひいきにすることから生まれた言葉。
1185年 義経が屋島(香川県)で平氏をやぶる。 那須与一
扇を掲げた平氏方の小舟がやってきて、那須与一は見事その扇を射落とした。
義経が壇ノ浦(山口県)で平氏を滅ぼす。 義経の八艘飛び
あやうく討ち取られそうになった義経は、約6.6m先にある味方の船に飛び移って攻撃をかわした。
義経の行動について梶原景時が頼朝にクレームを入れる。
頼朝は、人々に義経に従わないよう命じる。
義経は鎌倉に向かい頼朝に弁明しようとするが、鎌倉に入ることをさえ断られる。
叔父行家が義経に接近し頼朝への謀反を企てる。それに対し頼朝は義経追討を決意する。
義経は京都を脱出し逃亡生活に入る。
1187年 義経は、各地を逃げまわった後、北陸を経て、平泉の藤原秀衡のもとへ行く。 勧進帳
安宅の関所で義経ではないかと疑われ、弁慶がお前が義経に似ているから悪いんだと義経を打ちのめすことで疑いを晴らした。
藤原秀衡が死ぬ。
1189年 藤原秀衡の子、泰衡が裏切りにあい、義経は衣川(平泉の近く)で自害する。 弁慶の立ち往生
敵の矢を無数に受け死んでもなお立ち続け義経を守ろうとした。
頼朝が藤原泰衡を討ち奥州を平定する。 夏草や兵どもが夢の跡
最後に火が放たれ廃墟と化した平泉に芭蕉(江戸時代)が訪れた際の一句。
1192年 頼朝が征夷大将軍となり鎌倉に幕府を開く。 いい国つくろう鎌倉幕府

いざ鎌倉
「万一の時」を意味することばで、鎌倉に何か起こったとき、鎌倉を守るためにかけつけるのが武士のつとめであったことから由来する。現在の鎌倉街道は「いざ鎌倉」用につくられた道。
弁慶 対 牛若丸
武蔵坊弁慶は、1000本の刀を奪い取るという願をかけ、あと1本というところまでせまっていたところへ、牛若丸が登場し打ち負かしてしまう。その後、弁慶は家来となった。
ドカベン弁慶高校
唯一明訓を破った高校。義経の八艘飛びでタッチアウトを狙う山田を飛び越えホームインする。
  明訓(先攻) 弁慶(後攻)
山田(補) 富樫(三)
殿馬(二) 牛若(遊)
山岡(中) 義経(投)
岩鬼(三) 武蔵坊(右)
微笑(左) 安宅(二)
石毛(遊) 平泉(中)
仲根(一) 鞍馬(補)
今川(右) 白河(左)
里中(投) 千本桜(一)
弁慶の泣き所
弁慶ほどの男でも痛がって泣く急所があるという意味。
しずかちゃん
ドラえもんに登場するしずかちゃんの名前は源静。おそらく静御前から由来する。


 最後に頼朝と義経の思想のズレを頭に入れて下さい。
【ポイント:義経は完璧な人間ではなかった】
頼朝は天才的な政治家で、いわゆるゼネラリスト。
義経は天才的な戦術家で、いわゆるスペシャリスト。
頼朝は組織統制のため自らを絶対的なトップと位置づけ、勝手な行動は許さなかった。
義経は頼朝の主旨の重要性を理解できず、勝手な行動ばかりした。
頼朝にとって、義経は家来の中の一人に過ぎなかった。
義経は自分は頼朝の弟なので特別であると考えていた。
頼朝は定石を重んじ慎重に行動、さらにある程度家臣の意見を参考にしつつ根回しも得意する役人タイプ。
義経は瞬時の判断と奇抜なアイデアで成功し、さらに独断で物事を決めてしまうワンマン社長タイプ。
頼朝の最終目標は幕府を開き全国を統一すること。
義経の最終目標は平氏を倒すこと。

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