1185年(27歳) 屋島の戦い
ポイント箇条書き
頼朝は、その頃重要課題だった京都の治安維持を義経、平氏追討を範頼に任す。しかし範頼は苦戦。そのため、頼朝は義経の起用に踏みきった。
義経は、海を渡り、四国に上陸、平氏が誇る要塞・屋島を背後から攻撃しようとした。
出航の際、梶原景時(中尾彰)は、逃げる時のために船の前にも櫓をつけるべきだと提案。一方、義経はそんな弱気な考えは無用であるとし、口論となった。
四国勝浦に上陸した義経軍は、夜を徹して屋島に進み、平氏軍を急襲した。激しい合戦の中、佐藤継信(宮内敦士)は義経の盾となって戦死する。
夕刻になり一時休戦に入ったところで、平氏から美女が乗った小舟が現れ、竿の先の扇を射よと挑発。那須与一が射落とす。
その後、両軍はにらみ合いを続けたが、梶原景時らの軍船が到着したのを見た平氏は屋島を放棄し、西へ去った。
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