1185年(27歳) 頼朝、義経追討決意
ポイント箇条書き
京都に戻った義経に叔父・源行家が急接近し、協力して頼朝に敵対しようとした。
行家はこの年、謀反を企てたということで、頼朝の追討対象になっていた。しかし、わずかながら和解できる可能性を残していた義経は、消極的だった。しかし、行家に引きずられ、次第に敵視するようになっていった。
こうした噂は頼朝にも伝わってきた。頼朝は梶原景時の子・景季を使者として義経のもとに送り、様子を探らせた。
入京後、景季は義経邸を訪れ「行家を討て」という頼朝の命を伝えようとする。たが、義経は病気を理由に対面を拒否。2日後、病身を押して対面した義経は、「行家は名のある武将なので、簡単には討てない。病気が治り次第、作戦を練り討つことにする」と答えた。
この答えを聞いた頼朝は、行家と内通しているため仮病を使ったと判断。義経の謀反を確信し、義経追討を決意した。
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