1187年(29歳) 義経の奥州逃亡
ポイント箇条書き
追いつめられた義経は、弁慶らとともに、北陸道を通って奥州平泉に逃れることを決意した。
山伏姿に変装した義経一行は、途中、数々の関所で義経ではないかと疑いをかけられるが、弁慶の機転で次々と突破していく。
「勧進帳」は、各所で見せた弁慶の活躍を加賀の安宅関1ヶ所での出来事のように集約し作られたものである。
やがて一行は、奥州平泉の藤原秀衡のもとへたどり着いた。
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歌舞伎「勧進帳」のあらすじ
頼朝に追われ、山伏姿になって奥州に落ちていった義経一行は、
富樫左衛門が警固する加賀の安宅の関所にさしかかった。

富樫に何者か訪ねられた弁慶は、機転をきかせ東大寺の勧進の僧だと偽る。

富樫はそれならば勧進帳を見せろと迫ったが、
弁慶は、持っていた関係のない巻物を取り出し、勧進帳と称して読み上げる。

弁慶の必至の演技で通過の許可が下りたが、
今度は荷物持ち姿の義経に疑惑が持たれた。

すると弁慶は「お前が義経に似ているからこうなるんだ」
と義経を打ちのめし、疑いを晴らそうとする。

その弁慶の姿に心を打たれた富樫は、義経と知りつつ一行を見逃す。
無事関所を通過すると弁慶は主人を打ちのめしたことを泣いてわびた。

※勧進:寺の造営や修復のための寄付集めをする僧で勧進帳はその帳簿。

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